OHTAKI'S MODERN CARTOON

ひとり凧クラブの巻

最近「ひとり凧」をやっているんですよ。
いやあ、凧はいいですよ。
見上げる空に消えていく糸、その彼方には小さく凧が揺れている。 

風が吹く午後などに、くるくると畳んだ凧をですね、背負ったカバンにいなせにぐい、と突っ込んでですね、多摩川の河原に出かけるんですよ。持っていくのは水とビスケットと地図。これで迷子になってもお腹がすいても大丈夫。ケータイ?バカ言っちゃあいけねえよ。これからやるのは「ひとり凧」なんだぜ?邪魔されてたまるかってんだい。ていうか持ってないんだけど。

平日午後2時の多摩川河原なんて散歩中のじいさんと昼寝中の推定無職男くらいしかいないんです。あとは土手の上を地元のかたが自転車で行き交うくらい。 もう、凧、あげほうだいスよ。
ああ、自由業でよかった。
河原に着くと風がびょうびょうと吹いていましてね。もうね、気分は三船敏郎ですからね。背中から凧を引き抜きながらきっぱりとポイントに向かってざすざすざすと歩いていく、左手で糸をポケットに突っ込みながら右手で凧を広げ、顎に挟んで組み立てる。そのまま右手を高くあげれば凧はあっというまに空に向かって、たーーーっと糸を張る。

凧をあげて、糸が引っ張られるのを感じると、次第に糸の先になにか意識があって、わたしの手をひっぱっているような気がしてきます。 自分のかけらみたいなものが遠くにいて、もっと行く、もっと行く、って糸に伝わってくる。
凧を散歩させてるみたい。
あるいは空の凧を釣ってるのかもしれませんやね。海釣り、川釣り、そして空釣り。キャッチ&リリースなんて気持ち悪いこと言わずに喰えっちゅうねん。いや凧は喰えませんが。

わたしは思うんですけどね、凧上げとか魚釣りとかっていうのは一人になる作業 なんじゃないですかね。 なんかすごく自分がスッキリしてきて、それは自己が拡大するっていうか、 どんどん透明度が増してきて、なにかに溶け込んでしまう、そのくせ自分をはっきりと自覚していく、そういうかんじ なんですよ。
凧上げとくらげは似てるな、その点。 
なんか真理を得たような気がしましてね。 今後、くらげと同じく、凧も師とあおごう。

1999/1/30

tulipa@mamioh.com *MAMI OHTAKI*

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